海賊発祥地に祀られる速谷の神
出仕 小野雄生
愛媛県今治市にある「野間神社」。速谷神社からしまなみ海道を渡って、車で一時間四〇分。畑や大きな木々が点在する場所に、その社はありました。
この神社のご祭神は、「飽速玉命」、「若弥尾命」、「野間姫命」、「須佐之男命」の四柱。皆さんはお気づきでしょうか。そう、「飽速玉命」は速谷神社の神様です。なぜ速谷の神が広島から海を渡った愛媛にお祀りされているのか。その謎を解き明かすため、私は今治に向かったのです。
境内の広さは五千㎡。神門をくぐり長い石段を上った先に目指す本殿はありました。
宮司の鴨頭司さんによれば、もともと三柱の神が祀られていたそうです。そのうち主神は「飽速玉命」、つまり速谷の神様。「須佐之男命」は後にご祭神として加えられました。
ご存知のように、速谷の神様は安芸国を開いた神です。一方、「若弥尾命」は野間国(今治市)を開拓した神。そして「野間姫命」はその妻として知られています。古代の文献、『国造本紀』(旧事本紀)では、これらの神々の関係が解明されています。それによりますと、「若弥尾命」は速谷の神の孫にあたると記されています。つまり、「若弥尾命」は、安芸国から野間国に渡り、その地の姫を妻とし、祖神である速谷の神を祀った―。その神社こそが野間神社だったのです。
このことは古代、速谷の神を崇拝する勢力が、愛媛の北部にまで及んでいたことを物語る貴重な史実です。また野間国(のちの野間郡)は、海賊発祥の地として歴史上著名な場所であり、安芸の勢力と水軍の関係を考える上でも、大変興味深いことです。
実は『国造本紀』には、速谷の神様の同族が、愛媛北部だけでなく、山口東部や福島の北中部、宮城南部、さらに新潟の佐渡までを支配していたことが記されています。そして特筆すべきポイントは、これら地域が当時、いずれも朝廷を守る最前線の地であったということ。
古代の文献を紐解くと、特に広島について書かれた史書は極めて少ないのが現実です。しかし神社の歴史を遡り解き明かしていくと、知られざる古代史の一端を垣間見ることができるのです。まさに、古代のロマンが膨らむ瞬間です。
さて、野間神社の最も大切な祭り「例祭」は、毎年五月三日に執り行われています。ここで奉納される獅子舞は、愛媛県の無形民俗文化財にも登録されている大変由緒ある舞です。それは勇猛果敢でスリル満点のお祭りです。みなさんもぜひ、訪ねてみて下さい。
瀬戸内海を隔てた二つの地域、広島と愛媛。速谷の神はそれぞれの地域のいとなみを守り、同時に、そこに暮らす多くの人々から大切にされていることがよくわかりました。たいへんに有意義な愛媛訪問になりました。
第15号 平成26年10月24日