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神様との絆

権禰宜 瀨戸一樹

笑う狛犬
笑う狛犬

速谷神社の社殿横に一躯(く)の石の古い狛犬があります。台座には、「奉献文政十二年」、また現宮司の六代前の先祖にあたる「神主 櫻井為之進」の文字も確認できます。実はこの狛犬、元々は一対の狛犬で江戸時代から拝殿前に置かれ神社を守ってきました。しかし先年の火災で片方は焼け崩れてしまい一躯だけが現在の場所に移されました。大きな口が特徴で、下から見上げるとまるで笑っているように見えることから『笑う狛犬』と呼ばれ、参拝者に親しまれています。伴侶を失ってもなお逆境に負けず、神を守護しようとする健気な姿に訪れるファンがたいへん多いのです。

手水鉢

さて、このように速谷神社の境内を歩いてみると、「奉献」や「奉寄進」と刻まれた石灯籠や鳥居、狛犬などが数多くあることに気付かされます。速谷神社の神様への寄進は、とても古い時代から行われていたことが様々な文献から明らかです。

例えば平安時代の法律書『延喜式(えんぎしき)』によると、速谷神社には祈年祭という毎年二月の五穀豊穣を祈る神事に京の朝廷から「案上の幣帛」という格の高いお供えが捧げられてきました。その主な内訳は「木綿(ゆう)」や「麻(あさ)」などの反物や「盾(たて)」や「鉾(ほこ)」などの宝物や威儀物。また「干鮑(ほしあわび)」や「酒」などで毎年、朝廷から神前に捧げられてきました。

また「大内義隆寄進状」によると、戦国時代の天文十年(一五四一)に戦国大名の大内氏が「太刀(たち)」と「神馬(しんめ)」を奉納したことがわかります。神馬とは、神様の乗り物として奉納される馬のことです。生きた馬が難しい場合、木彫りの馬像や板絵の馬などが奉納されることもあり、これらは現在、受験生などが神前に願い事を記して奉納する「絵馬」の起源と考えられています。また別の古文書によると、文明十一年(一四七九)に厳島神主の藤原教親から鋳鐘(いりがね)が奉納されたことも知られています。

次に境内に現存するものを見てみると、万治三年(一六六〇)に奉納された古い石灯籠があります。刻銘に「肥前国松浦平戸谷川助左衛門尉成勝」とあり遠く長崎からの奉納でした。また現在でも参拝者が日々、手や口を漱(すす)いでいる「手水鉢」には天保四年(一八三三)の文字と地元の名士の名が列記されています。

岩木神社石鳥居
岩木神社石鳥居

さらに大正十三年には旧広島藩主・浅野長勲侯爵が樹木を奉納したことが献木碑でわかります。ちなみに大正十三年という年は速谷神社が「国幣中社」という高い社格に昇格した年です。

またお正月や神楽など祭礼の夜、境内を照らす神門脇の立派な「石灯籠」は昭和九年(一九三四)、最近でも境内社・稲荷神社に「朱の鳥居」、去年春には、境内社・岩木神社に石鳥居が奉納されました。これらの寄進により、両境内社の景観はとても荘厳となり、神様も大いにお喜びになられ、ご神威も益々、発揮されるものと思います。

このように神社への寄進は多岐に渡りますが、寄進される方々のお気持ちに変わりはありません。神様への感謝の気持ち、即ち神様と氏子崇敬者の絆を表す形として、さまざまな寄進がなされてきました。

速谷神社は平成三十六年に創祀千八百年祭を迎えます。この記念大祭に向けて境内でも整備事業が行われる予定です。新時代の大寄進とも言えるこの契機。氏子崇敬者の皆様のご理解とご協力をお願い申し上げます。

第20号 平成29年11月24日

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