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湯立神事(ゆたてしんじ) 四百六十年ぶりに復活

宮司 櫻井建弥

湯立神事
湯立神事

天皇陛下の御在位三十年と御代替りを記念して、平成三十一年二月三日(日)午前十時、速谷神社では約四百六十年ぶりに『湯立神事(ゆたてしんじ)』が再興されます。湯立神事とは、神前に置いた大釜に湯を煮えたぎらせ、笹の葉を熱湯にひたして、社殿をはじめ参列者に振りかける儀式です。日本では古くから熱湯そのものに浄(きよ)め祓(はら)う力があると考えられており、神事に参加する人たちの災厄(さいやく)を祓(はら)うために、中世を中心に神職や巫女によって湯立が盛んに行われてきました。

この神事は、沸騰した熱湯の中に手を入れ、火傷(やけど)の有無で罪を判定した古代の「盟神探湯(くがたち)」の名残(なご)りとする説もあって、もともとは神さまのご意思を確かめるための占いの儀式がその起源だったようです。

毛利隆元
毛利隆元

さて速谷神社で湯立神事が執り行われたことを示す古文書は、いまから約四百六十年前の永禄(えいろく)年間に書かれた「毛利隆元書状(もうりたかもとしょじょう)」(厳島野坂文書)の中にあります。毛利隆元は、戦国大名の毛利元就(もうりもとなり)の嫡男(ちゃくなん)で、有名な「三本の矢」の筆頭、毛利氏十四代当主であり、優れた内政や財政手腕で父の勢力拡大を大いに助けた戦国武将として知られています。

この書状には、『早田(速谷)社江立願之事、御湯立七年可進之由得其心候』とあり、当時から関係が深かった厳島神社の斡旋(あっせん)で、毛利隆元が七年の長きにわたって、速谷神社に湯立を行うための費用を奉納したことが書かれています。当時は湯立の奉納とともに、個人的な祈願を依頼するケースも多かったことから、古代より霊験あらたかな速谷の神に、領地の安寧や武運長久などの祈りを捧(ささ)げたものと考えられています。

しかし、かなり古い時代から湯立が行われてきたはずの速谷神社ですが、残念なことに、この毛利氏ゆかりの湯立神事を最後にその記録は途絶えてしまいます。また湯立神事が廃(すた)れたのは、実は厳島神社も同じなのです。

湯立
湯立

ところで冬と春とを分ける二月三日の節分の日、速谷神社では恒例の「節分祭」が執り行われます。文字通り季節を分ける節分には、「鬼が入る」と恐れられ、鬼を祓(はら)って幸福を招き入れる豆撒(ま)きや焼いたイワシの頭を戸口に刺す焼嗅(やいかがし)などの行事が行われています。速谷神社では古式にのっとって、桃の弓や葦(あし)の矢を使って邪気を滅(めっ)する「鬼やらい」の儀式が厳粛(げんしゅく)に執り行われていて、この除災神事(じょさいしんじ)、つまり人々の厄難を祓(はら)い浄(きよ)める神事にあわせて、同じく伝統的な除災神事である湯立神事を復活することになりました。

この再興のため、地元にある数多くの古文書にあたり、また広島県内各地に残る湯立神事を参考にして、可能な限り古くから速谷神社に伝わる湯立神事の姿を再現しました。

速谷神社では平成三十六年、新元号六年に創祀千八百年祭を迎えます。非常に古い時代からこの地域に災禍(さいか)や不幸が降りかかったとき、人々を守護(まも)るための大切な祈祷が行われてきました。

湯立神事の当日は、魔を滅(めっ)すると言われる豆撒(ま)きや餅撒(もちま)きのほか、四百六十年前にも毛利隆元に贈られたであろう湯立神事のお下がりである「御久米(おくま)」(お米)を参列者全員にお持ち帰りいただきます。

速谷の神は、長い歴史の中で、安芸国総鎮守(あきくにそうちんじゅ)の大神としてこの地域に暮らす人々の命と暮らしを守りつづけて来られたありがたい神です。年のはじめに今年一年間の禍事(わざわいごと)を浄め祓う古式ゆかしい湯立神事に、是非ともご参加いただきますよう、ご案内申し上げます。

第21号 平成30年11月27日

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