社務日誌(ブログ)

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岩木神社について

権禰宜 日下康平

《はじめに》

岩木神社
岩木神社

 昨年より速谷神社にご奉仕させていただいております、日下康平と申します。今回の社務日誌を担当することになりました。どうぞよろしくお願いします。
 突然ですが、当社では今年に入って二度もテレビで紹介された神社があります。それは、速谷神社の摂社(せっしゃ)「岩木神社」です。神社の境内にある境内社には、摂社と末社(まっしゃ)の二種類の神社があります。そのうち摂社は、御祭神とゆかりの深い神様、例えばその土地に古くから鎮座していた地主神などを祀ったもので、それ以外を末社と呼びます。
 速谷神社では、拝殿の西側に摂社の岩木神社があり、東側に末社の稲荷神社があります。岩木神社の祭神は、「岩木翁神(いわきのおきなのかみ)」、稲荷神社では「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」が鎮座されて祀られています。
 今回はこのうち「岩木神社」についてお話をさせていただきます。前回の社務日誌二十三号で紹介された通り、岩木神社は元々「一の鳥居」近くの権現山(ごんげんやま)で祀られていました。しかし明治初年に元宮はそのままに、ご分霊(ぶんれい)を本社境内に遷(うつ)し、明治中頃には、本殿内で速谷の神様と一緒にお祀りをされていました。今の場所には大正十三年に行われた速谷神社の「大正の大改修」に併せて社殿が新しく建立され遷られました。

《岩木神社の起源》

 現在、岩木神社は、「健康長寿」や「病気平癒」の霊験が大きな神社として、多くの人がお参りしているパワースポットです。
 その歴史は古く、速谷神社の社伝によれば、速谷の神がこの地の鎮座する以前からこの土地を守ってきた地主神だとされています。また岩木翁神のモデルとなった人物は神代の昔にあって、なんと百六十三歳の長寿をまっとうしたと伝わっています。
 そのことから、人々はその長寿のご事績にあやかるために、岩木神社に健康や長寿を祈りに参り、そしてその祈りが叶うにつれて、次第に岩木神社は「土地の神様を祀った神社」から、「健康長寿」・「病気平癒」の霊験あらたなか神社として認識され、崇敬されるようになったのだと考えられています。

三翁神社
三翁神社

 この岩木翁神ですが、実は嚴島神社ともたいへん縁の深い神様であることが知られています。江戸時代に厳島の通俗について記された『厳島道芝記(いつくしまみちしばのき)』などによれば、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が嚴島神社に鎮座された時に、その神を案内した神烏 (ごがらす)を権現山に祀ったのが、岩木翁だったと伝えています。また嚴島神社の裏手にある「三翁神社(さんのうじんじゃ)」には、この岩木翁が祀られています。
 これらの話でも岩木翁がこのあたりの村の主として登場していることから、人々が健康に暮らせるように土地の神、地主の守り神として、たいへんに古い時代から崇敬されてきたことだけは間違いないようです。

《岩木神社の祭り》

磐城御阿礼祭
磐城御阿礼祭

 さて、この岩木神社ですが、とても貴重な神事が毎年執り行われています。
 その神事は「磐城御阿礼祭(いわきみあれさい)」といいます。「御阿礼」というのは、神様が誕生、降臨するという意味であり、神事は六月五日に、権現山の元宮と速谷神社拝殿の西側、岩木神社の双方で行われます。
 神事はまず、権現山の元宮で、「神籬(ひもろぎ)」と呼ばれる榊葉(さかきば)に岩木翁神をお招きすることからはじまります。元宮での神事を終えると、岩木神社で神事をするため、神様の宿った榊葉を神職が大切に持ち、約三百㍍は離れた岩木神社まで「神幸(しんこう)」します。神幸とは、神様が旅をされることをいいます。
 「磐城御阿礼祭」は、神様が昔の鎮座地から、現在の鎮座地に旅をされて、ご神威を高めていただくためのお祭りなのです。
 とてもめずらしいお祭りですので、機会があればご参列ください。

第24号 令和5年11月27日

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