大祓詞の威力
権禰宜 小野雄生
今月三十日に速谷神社をはじめ、全国の神社で執り行われる「夏越大祓式(なごしのおおはらいしき)」。そもそもなぜ大祓「祭」ではなく「式」なのでしょうか。神社で行われる祭祀(さいし)では「祈年祭」「新嘗祭」、皆さんが受けられるご祈祷も「交通安全祈願祭」や「厄除け祈願祭」という名称です。
この「祭」と「式」には違いがあります。「祭」の語源は諸説ありますが、神様に食事やお酒などを「たてまつる」という言葉や神様が現れるのを「待つ」という言葉に由来したものとされています。
本来の「祭」とは神さまをお招きし、また現れるのをお待ちし、食事やお酒を差し上げてお喜びいただき、日頃の神恩に感謝をするものです。一方「式」とは、一定のやり方で行われる行事といった意味合いがあります。そこには食事や酒をお供えして感謝するという発想はなく、大祓式も神の力を借りて「祓う」ことに主眼が置かれています。
さて、この大祓式では、神職だけでなく参列者の皆さんに「大祓詞(おおはらいことば)」を一緒に唱えていただきます。大祓詞は、約九百字の漢字で成り立っており、前段と後段に分かれています。前段は、葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)(日本のこと)の成り立ちが語られ、人々が犯す「罪(つみ)と穢(けが)れ」の祓い方が示されています。一方の後段では「祓い」を行うと、罪と穢れがどのように消し去られていくか、その過程が語られています。
この大祓詞の後段には、四柱の神さまが登場します。様々な罪と穢れを川から海へ流す「瀬織津比売神(せおりつひめのかみ)」、海の底で待ち構えて罪と穢れを飲み込む「速開都比売神(はやあきつひめのかみ)」、その飲み込んだものを確認し根の国底の国(地下世界)に息吹(いぶき)を放つ「気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)」、根の国底の国に持ち込まれた罪と穢れを、さらに、どこともわからない場所に運び去って消し去る「速佐須良比売神(はやさすらひめのかみ)」。これら四柱の神々を「祓戸大神(はらえどのおおかみ)」といいまして、我々の罪と穢れを祓い清め、消し去ってくださいますようお願いするのが大祓詞です。実際に大祓式でも、皆様からお預かりしした「人形(ひとがた)」を浄火でお焚き上げして灰にし、川に流して、大海原に消し去ります。
罪とは「包(つつ)む身(み)」という意味で、穢(けが)れとは気が枯れる、つまり「気枯(きが)れ」です。神様から頂いた清々しい私たちの体が包み隠れてしまったり、生命力が枯れたり、悪いものが知らず知らずに誰しもついていきます。しかしそれらを消し去れば元のすばらしい体に立ち返れると考え、それを行うのが「祓(はら)い」なのです。
現在では宮中をはじめ全国の神社で大祓式が執り行われています。そこで大祓詞を唱え、自分や周りの家族や友人、それに八百万の神々をも含めた社会全体の祓いを、祓戸大神にお願いし、罪穢れをなくし元気に平和に過ごせるようにとお祈りします。
万葉集に「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ国(こく)」とか「日本は言霊の祐(たす)くる国」と詠まれていますが、言葉には大きな力があると信じられてきました。
応援してもらったときには力がでますし、実際言葉に出すと、やる気が違ってくるというものです。
特に、大祓詞は古くから「神の言葉」といわれています。皆様には、速谷神社の境内で執り行われる「夏越大祓式」に是非ご参列ください。またこのときだけではなく、日ごろから大祓詞を唱えてみてください。きっと日々の生活の中で大きな力を発揮してくれることでしょう。
第19号 平成29年6月15日