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佐伯郡の古社

《はじめに》

佐伯郡(藝藩通志)
佐伯郡

 広島県の南西部、現在の広島市(安佐南区・西区・佐伯区)、廿日市市、大竹市、江田島市を含めた広い地域は古代には「佐伯」と呼ばれる地域でした。
 「さえき」という地名は大化の改新(645年)以前に朝廷によって佐伯部とよばれる集団が当地に配置されたことに因るものと考えられます。「さえき」は「さえぎる」という言葉に通じ、外敵から朝廷をお守りする重要な役割のある人びとであったと考えられることから「佐伯」は防衛上、重要な地域であったと思われます。
 飛鳥時代、全国に郡が置かれた際、この地域は佐伯部が置かれた地ということで郡名が「佐伯郡」となったようです。その集団の子孫は後世、佐伯氏と呼ばれるようになりました。佐伯氏は厳島神社の神主を代々、世襲し、この地域の豪族としても活躍しました。

《佐伯郡の神社》

延喜式神名帳
延喜式神名帳

 さて古代において佐伯郡にどのような神社があったのか、はっきりとわかる記録として『延喜神名式』という書物があります。『延喜神名式』は延長五年(827年)に完成した法律書に収められている全国の有力な神社をピックアップした台帳です。
 各地の有力な神社リストですので該当地域の全ての神社を網羅している訳ではありませんが、当時の神社について理解する上で非常に重要な史料となっています。

そこには佐伯郡の神社として次のように書かれています。

   佐伯郡二座 並大 速谷神社 名神大。月次新嘗。
            伊都伎島神社 名神大

速谷神社
速谷神社

厳島
厳島

少し詳しく説明すると、そもそも『延喜神名式』に載る神社は毎年二月の祈年祭に「幣帛」(お供え物)が捧げられる神社です。また「座」とは神社でお祀りされる神様の数のことで佐伯郡には速谷神社と厳島(伊都伎島)神社の二社がご鎮座され、どちらも「名神大」とあるので朝廷が主催する「名神祭」という神事の対象であることがわかります。この「名神祭」は全国の神社のなかでも霊験あらたかな神様と朝廷から認められた神社のみが預かる神事です。
 また速谷神社には「月次新嘗」とありますが、これは毎年六月と十二月の「月次祭」、十一月「新嘗祭」に朝廷が速谷神社に対して「祈り」を捧げるようになっていたことを示しています。
 さて近畿圏以外の神社にお供えされる「幣帛」は基本的には安芸国とか備後国とか国毎の役所が準備していたのですが、「月次新嘗」の「幣帛」は朝廷が直接、準備することになっていましたので、速谷神社への「幣帛」は朝廷が直接、準備するという破格の待遇であったことがわかります。

《佐西郡の神社》

岩木神社
岩木神社

 さて鎌倉時代頃になると佐伯郡は西と東に分割されました。現在の己斐地区から東が佐東郡、西が佐西郡です。この頃になると安芸国内の有力な神社を安芸国の役所が管理するための台帳として、また寺院で執り行われている「修正会」などの法要の場に安芸国中の神様をお招きするために読み上げられていたと考えられる『安芸国神名帳』という神社リストが出来ており、そこには佐西郡だけでも十三社の神社が記載されています。
 十三社のうち現在でも、どちらの神社かはっきり判明しているのが大野地域、妹背の瀧のお傍にご鎮座されている大頭神社。それと岩木神社(石城明神)です。
 岩木神社は速谷神社の御祭神である飽速玉男命(安芸国造)が現在の速谷神社の地にお静まりになられる際に地主の神様として神社を建立する「場」をご提供された岩木翁神をお祀りする神社です。
 岩木神社は現在、速谷神社のご本殿のすぐ横でお祀りされていますが、もともとは速谷神社鳥居近くの権現山でお祀りされていました。『安芸国神名帳』では岩木神社は神階「二位」という高い位で記載されています。当時から現在いいたるまで安芸国を代表する神社として権現山でお祀りされてきたのです。

《おわりに》

 速谷神社は安芸国総鎮守として旧佐伯郡のみならず安芸国、また山陽道の守護神として広く信仰される古社です。それに対して岩木神社は「ひっそり」とご本殿の脇でお祀りされています。しかし、岩木神社は速谷神社の創建に深く関わり、安芸国の有力な神社として歴代の国司(現在の県知事)に信仰された神社であったのです。速谷神社にご参拝の折には是非、岩木神社にもご参拝頂き古代の安芸国や佐伯郡の歴史に思いを馳せて下さい。
 最後に岩木翁神の御神徳をご紹介いたします。
 【健康長寿】【開運厄除】【病気平癒】

第23号 令和3年5月17日

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