「宮島御島廻研修会」に参加して
禰宜 櫻井建弥
今回は前月行われた神社庁の「研修会」について、皆さんにご紹介したいと思います。
全国にはたくさんの神社がありますが、そのほとんどは東京にある『神社本庁』に所属しています。所属する神社の数は、実に8万社です。神社本庁の地方組織として各都道府県には『神社庁』があり、さらにその下に『支部』が置かれています。
速谷神社は、「広島県神社庁」の「佐伯大竹支部」に所属する神社です。広島県神社庁には24の支部があり、2千4百あまりの神社、630名の神職がいます。神社庁は神道の教化や神社の興隆、神職の育成などを図る組織ですので、盛んに研修会が行われます。佐伯大竹支部でも年に数回、研修会が行われ、今回は「宮島」をテーマに、9月6日、研修会を開きました。
宮島の「厳島神社」も佐伯大竹支部所属の神社ですが、私たち神職はあまりに身近すぎて、実は宮島について詳しく知らないのではないかという問題意識をきっかけに、改めて勉強し直そうということになりました。
研修会には、県内各地から、神職以外にもその家族や総代から広く参加の希望があり、受講者は40人になりました。参加者は厳島神社を正式参拝したあと、東廻廊そばの国の重要文化財「朝座屋」をお借りして、「厳島(宮島)」について一時間余りの講義を受けました。
講師は広島民俗学会常任理事の岡崎環先生で、先生は宮島歴史民俗資料館の副館長や廿日市市の文化財課長などを歴任された宮島のエキスパートです。教室では、島の呼称の変遷や佐伯一族・平家一門の果たした役割、祭礼の歴史、芸能、生活、自然、観光と多岐に渡って興味深い説明をいただきました。
講義では、宮島は長い歴史の中で島の様相を大きく変えていない貴重な島であり、人類の財産として守っていく意義が強調されていました。
受講者は午後から屋形船に移り、宮島の七浦をめぐりながら講義を受ける視察研修を行いました。厳島神社では、弥山を右手に船で島を一周して、浦々に祀られている末社を巡拝する「御島廻式(おしままわりしき)」が古くから行われています。
このうち青海苔浦神社と山白浜神社の間に鎮座する養父崎神社の沖で行われる「御烏喰(おとぐい)神事」は有名です。これは古代、厳島の大神が鎮座地を求めて島を廻った際、二羽の神鴉(ごがらす)が先導したという伝承にちなんだ神事で、春から秋にかけて毎年、行われています。
一周30kmの宮島は島全体に神社が点在し、信仰の島であることを強く印象付けています。巨石が連なる海岸線や信仰上の理由から多くの原生林が残る弥山、砂浜で草を食む鹿の群れなど、神宿る島にふさわしい神聖な光景を直接肌で感じることができました。また島には旧日本軍の砲台や弾薬庫、農地に開墾した跡、牡蠣や浅蜊の養殖地などもあって、信仰はもとより、戦争の歴史や貴重な動植物、島民の生活の営みなど多くを学ぶことができました。
私は小学生の頃、「御烏喰神事」を見学させていただいたことがありますが、久しぶりにみる宮島七浦の姿は、厳粛で神々しい信仰空間そのものでした。
速谷神社と厳島神社は、古より深い縁で結ばれてきました。二社はほぼ、真北と真南を結ぶ線上に鎮座していることをご存じでしょうか。神社の紋「社紋」もよく似ています。(http://www.genbu.net/place/indexcyugoku.htm)
正史に登場するのも、ともに『日本後紀』弘仁2年(811)の項です。その後も官国幣社として、ともに朝廷やときの政府から特別の崇敬を受けてきました。
宮島で「御烏喰神事」をつとめた神鴉は、速谷神社に立ち寄ってから紀州熊野に帰っていくという民間伝承もあって、古くから信じられています。
速谷神社の歴史は、厳島神社の歴史と切っても切れない関係にあります。今回の研修は、速谷神社の成り立ちを見つめ直す上でも、大変に有意義な研修会になりました。
第4号 平成22年10月9日