社務日誌(ブログ)

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内宮と外宮

宮司  櫻井 建弥

内宮

来年、日本で開かれる主要国首脳会議は、「伊勢志摩サミット」に決まりました。安倍総理は「伊勢神宮の荘厳で凛とした空気を世界のリーダーたちと共有したい」と述べ、伊勢の神宮を通して日本人の精神文化の精髄を世界に発信していく決意を示しました。

日本人の心のふるさととも称される伊勢の神宮は、伊勢市を中心に鎮座する百二十五の神社の総称です。ここには、風の神、土の神、滝の神など多くの神々が祀られ、その中心は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮)です。内宮には、皇室のご祖先である天照大神、そして外宮には豊受大神がお祀りされています。
しかし、なぜ神宮には内宮と外宮があるのでしょうか。

天照大神は、文字通り、天を照らす太陽にたとえられます。しかし太陽そのものではなく、空に光輝く太陽のように分け隔てなくすべての生命(いのち)を育む神であり、八百万神の中心にまします最高至貴の神です。
もとは歴代天皇によって皇居内でお祀りされていました。しかし、それでは神に対して畏れ多いということになり、各地巡幸の末、伊勢の地にお鎮まりになりました。『日本書紀』には、

 この神風の伊勢国は常世(とこよ)の波の重波(しきなみ)帰(よ)する国なり
 傍国(かたくに)の可怜国(うましくに)なり
 この国に居(お)らむと欲(おも)う

とあり、大神のご神意によって、伊勢に内宮が創建されました。

常世とは、海のかなたにある理想郷のこと、そして傍国とは、片方が海、片方が山に面した土地のことです。当時の大和の人たちにとって、伊勢は東のはずれにありました。しかしそこは、太陽が昇る地であり、常世から祝福の波が次々と打ち寄せる神の国にふさわしい土地でした。
また水も良く土地は肥よくで、海の幸、山の幸にも恵まれ、まさしく「うまし国」だったわけです。

一方、外宮のご鎮座は、第二十一代雄略天皇の即位二十二年のことです。『止由気宮(とゆけぐう)儀式帳』によりますと、内宮ご鎮座から五百年ほどたったある夜、天皇の夢に天照大神があらわれ、

 わが御饌都神(みけつかみ)の豊受大神をわが許(みもと)に

との神示がありました。

そこで天皇は、丹波国比治(ひじ)の真名井(まない)から豊受大神を伊勢にお迎えし、神殿を建てました。これが外宮です。豊受大神は食事を司る御饌都神で、広く衣食住をはじめとした生活(くらし)の守護神として信仰されています。

以来千五百年間、外宮では、雨の日も風の日も朝夕二度、「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」が行われ、神々に「神饌(しんせん)」が奉られています。米や野菜、果物は、五十鈴川の水を引いた神田と御園で栽培されています。水は、宮城内の上御井(かみのみいの)神社から朝一番に清浄な水が汲み上げられ、御塩(みしお)は近くの入浜式塩田で海水を蒸発させ、御塩殿(みしおどの)神社で焼き固めて作られます。

新穀

神饌の中心は、何といっても「米」です。米は縄文時代の終わりに日本に伝わったといわれていますが、私たちの祖先は、この米にまつわる伝承を民族の物語として大切に伝えてきました。

神代の昔、天照大神がはじめて稲穂を手に入れられてとき、たいへんお喜びになり、

 この物は顕見(うつし)しき蒼生(あをひとくさ)の食(くら)ひて活(い)くべきものなり

これこそ日本人が主食にすべき糧であるとして、天の狭田長田(あめのさたながた)に植えられ、孫にあたる瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に稲穂を授けて地上に降臨させた、というものです。天照大神が、命の糧である稲を日本人に授け、そして稲作を基盤とする日本の文化が誕生しました。

天皇陛下は皇居内で御親(おんみずから)ら稲をお作りになり、毎年、神宮の重儀である神嘗祭(かんなめさい)にお供えされます。これは、その年の新穀をまず天照大神にささげる神事で、神と稲によせる感謝のお祭りです。

日本人は毎年、春には豊作を、夏には雨風の害がないことを祈り、穂が色づく秋には感謝の祈りを神々にささげてきました。稲は命の根だから「いね」といいます。日本人にとって稲とは、命の源であり、米作りとは暮らしそのものだったのです。わが国が「瑞穂国(みずほのくに)」と呼ばれる所以です。

さて伊勢の神宮に、なぜ内宮と外宮があるのか、もうお分かりでしょうか。それは、天照大神が太陽にたとえられる生命(いのち)を育む神であり、豊受大神が生活(くらし)を守る神であるからに他なりません。

人は、命があるだけでは生きていけません。毎日いただく米をはじめ、衣食住の恵みがあって、はじめて生きていけるのです。親から子へ、そして孫へと永遠に続く私たちの命と、その命を支える暮らしのために、内宮と外宮があるのです。本当にありがたいことではありませんか。

神宮の森に足を一歩踏み込むと、そこには日本の原風景が広がります。神と自然、そして人間が共生し、神代の昔から紡いできた日本人のうるわしい営みの記憶が、そこでは時空を超えてよみがえります。

来年、サミットでこの地を訪れる世界の首脳たち。地域紛争や環境問題など難問を抱える彼らには、この聖なる森はいったいどのように映るのでしょうか。

第17号 平成27年7月10日

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