神社だより開設にあたって
宮司 櫻井正弥
今回から「神社だより」としてコラムを掲載することにしました。神社の歴史や近況などもお伝えしていきますので、よろしくお願いします。
厳しい冬が終わり、いよいよ生命の息吹がみなぎる春を迎えました。速谷神社の境内も、木々は芽吹く準備に忙しく、太陽から降り注ぐ陽の光を全身に浴びようとしています。
社殿の前には、「左近の桜、右近の橘」があって、このうち桜は八重紅枝垂桜。ソメイヨシノに比べて1週間ほど遅れて満開になります。開花、満開、散り際とそれぞれに風情があって、五分から七分咲きの紅色が最高に鮮やかです。この桜は、色は紅、花は八重、木は枝垂れですから、艶やかさときたら抜群です。速谷神社では、この桜の咲くころ、毎年四月十日に「桜花祭」という祭りを行うのが、古くからの慣わしになっています。
一方の橘ですが、古くは『魏志倭人伝』や『古事記』にその記述があり、『万葉集』や『古今集』にも数多くの歌が詠み込まれています。「五月待つ 花橘の香をかげば 昔の人の袖の香ぞする」(古今集)とあるように、柑橘系のかぐわしい香りを放ち、初夏には白い五弁の花を付けます。ミカンに似た3センチほどの実を付け、冬には黄色く熟します。桜も橘も、平安朝のころより神樹として植えられ、京都御所紫宸殿の「左近の桜、右近の橘」は有名です。
速谷神社には桜や橘に限らず、境内の側面、背面に広大な鎮守の杜があって、神鎮まります本殿を中心とした社殿と一体となり、清浄で生命力の満ちた類稀な信仰空間を形作っています。
わが国では森林や樹木には神が宿ると信じられ、古くから大切にされてきました。樹木だけではありません。太陽には太陽の神、田には田の神、水には水の神がおられ、私たちは自然の中に神の存在を見て、その大きな働き、恵みに手を合わせてきたのです。
神道(神社)では、自然も人間と同じく神の生みし子であって、それぞれが神によって結ばれ、ともに支え合う存在であると教えます。私たちはご飯を食べるときに、「いただきます」「ごちそうさま」といいます。これはご飯を食べさせてくれるお父さんやお母さん、生産や流通に関わってくれる人たちだけに感謝しているのではありません。神や自然の働き、恵みに感謝し、命をいただくことへの畏敬の気持ちをこめた言葉なのです。
自然との共生を考えるとき、地球規模の環境問題はたいへん気になります。世界的な経済危機の影響で、最近は議論も下火になっていますが、この問題をなおざりにすることは許されません。
人間が環境問題を引き起こす根本的な原因は、何なのでしょうか。それは、人間だけが自然の秩序をコントロールする立場にあるという発想にあります。また人間は、自然を利用することのできる特別な存在であるという驕りにあります。地震や台風など、自然は時として人間に襲いかかります。自然から学び、科学の力で自然災害から免れる方策を講じていくことは大切なことです。しかし、自然が本来持っている力を損なうような人間の営みは、これを厳に慎まなければなりません。
私たちの命は、先祖から受け継ぎ、子孫へとつなぐ生命連鎖の中にあり、自然によって育まれています。人間も自然秩序の一員に過ぎないことをしっかりと自覚すべきです。私たちは神に見守られ、自然によって育まれている存在であることを決して忘れてはなりません。
我が国では、温和で規則正しく、豊かな生活をもたらしてくれる自然は生活を保障してくれる保護者であり、神道の根底には自然の力に対する強い信頼があります。人間の営みは、自然の本来持つ力を守り、それを活かしながら成長していくことです。私たちが目先の経済性を優先したことで起こるさまざまな環境問題は、人間と自然の共生のバランスが崩れていることを意味しています。人間は自らの力を過信せず、自然の力を再認識して、その力を壊すことなく活かしていくという発想が神習う人の発想であり、営みなのです。
速谷神社の敷地に自生ないし植栽されている樹木は、桧や銀杏、松、杉、欅、梅や紅葉など七四種にのぼります。この辺りにある鎮守の杜でも、ずば抜けて多くの種類があるそうです。清浄で生気漂う境内を守ることも、豊かな水と緑に恵まれた美しい地球を守ることも、一朝一夕にできることではありません。昼夜を分かたぬ私たちの努力と自然が本来持つ力によってのみ、実現できるものなのです。自然を守り、活かしていく営みを続けていかなくては、私たちは将来に大きな禍根を残すことになりかねません。
第1号 平成21年3月9日