社務日誌(ブログ)

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『遷御の儀』を奉拝して

宮司  櫻井 建弥

神宮内宮

平成二十五年十一月二日。伊勢の神宮・内宮(ないくう)で、式年遷宮(しきねんせんぐう)のクライマックス『遷御の儀(せんぎょのぎ)』が行われました。この重儀にあたり光栄なことに、速谷神社から名誉宮司と私の二人がご招待をいただき、当日奉拝いたしましたので、ご報告したいと思います。
伊勢神宮の式年遷宮は、二十年に一度、社殿を新しくし、装束や神宝も新調して、神さまに新宮(にいみや)にお遷(うつ)りいただくわが国で最大のお祭りです。式年遷宮の制度は古く、今から千三百年前、持統天皇の時代に第一回が行われ、戦国時代に一時中断はありましたが、今回が六十二回目です。

神宮には、皇室の祖神(おやがみ)である天照大御神(あまてらすおおみかみ)をおまつりする「内宮」と産業の守り神である豊受大神(とようけおおかみ)をおまつりする「外宮」があります。このうち内宮は今回、西の御敷地(みしきち)に「唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)」と呼ばれる古代の姿そのままの新宮がみずみずしく造営されました。

宇治橋
奉拝席

遷御の儀の当日、伊勢は雲ひとつないうららかな日本晴れとなりました。宇治橋を渡り、受付を終えて、内宮の参道わきに設けられた奉拝席で、遷御の時を待ちました。

あたりが夕闇に包まれた午後六時。神宮の森に「報鼓(ほうこ)」と呼ばれる太鼓が鳴り響き、遠くから砂利を踏みしめるザッザッという音が聞こえてきました。そして天皇陛下より遣わされた勅使(ちょくし)の手塚英臣(てづかひでおみ)宮内庁掌典長(しょうてんちょう)をはじめ、緋袴(ひばかま)姿の臨時祭主・黒田清子(くろださやこ)さま、冠に木綿鬘(ゆうかずら)、両肩に木綿襷(ゆうだすき)、明衣(にょうえ)と呼ばれる特別な装束に身を包んだ神宮大宮司、少宮司など百二十人の神職が、神さまをお迎えするため、正宮にむけて参道をゆっくりと進みます。

参道には、御列を照らす松明の匂いと、新宮から運ばれてくる無垢のヒノキの芳香がたち込めて、まるで時代絵巻をみているようでした。

その後、正宮では、勅使によって新宮へのお遷りを願う「御祭文(ごさいもん)」が奏上され、大宮司、少宮司が正殿(しょうでん)の御扉(みとびら)を開きます。

冷たい夜風が木々の梢をかすかに揺らし、あたりは木々のざわめき、虫の音、鳥の声しか聞こえない静寂に包まれました。招かれた三千人の奉拝者は誰一人言葉を発することなく、水を打ったような静けさで、ただひたすら神さまのお出ましを待ちました。

内宮参道

午後八時前、正宮から『カケコー』と鶏の鳴き声を三回唱える「鶏鳴三声(けいめいさんせい)」が聞こえて、いよいよ正宮を「出御(しゅつぎょ)」されます。そして御神体は純白の「絹垣(きんがい)」に囲まれて、太刀や鉾、楯などを携えた神職に前後を護(まも)られて、正宮から新宮に向かう参道に敷かれた「御道敷(みちしき)」と呼ばれる白布の上を静かに進まれます。
時を同じくして皇居神嘉殿(しんかでん)の前庭では、天皇陛下が、「庭上下御(ていじょうげぎょ)」という最も鄭重な作法で、神宮を遥拝されます。

松明の灯もない浄闇の中で、奉拝席からは純白の絹垣がかすかに窺(うかが)え、また御列から流れてくる「道楽(みちがく)」の厳かな調べが、神さまの宮遷り(みやうつり)を教えてくれています。

絹垣が目の前を通りすぎ、新宮に向かう石段を上っていかれる時、突然一陣の風が吹き抜け、私は感極まって思わず頭(こうべ)を垂れ、柏手(かしわで)を打ちました。そしてこの国の歴史の偉大さ、力強さ、未来への希望をひしひしと感じていました。

内宮御正殿

式年遷宮は、社殿が古くなったから建て替える、単なる神さまのお引っ越しではありません。日本人が大切にしてきたのは、生命(いのち)が永遠に再生し、常に若々しい生命の輝きを放ち続ける『常若(とこわか)の精神』です。日本人は神宮が新しくなることで、神さまの力が若返り、日本全体が若返り、そして国全体が永遠に発展すると信じたのです。

伊勢市内

神宮には、ことし千三百万人もの参拝者が訪れるものと見られています。私たちは日本人の心、歴史と伝統文化をしっかりと受け継ぎ、次世代に伝えていかなければなりません。

そして安芸国の祖神(おやがみ)である速谷神社も、清浄でみずみずしく生命力あふれる神社で在り続けなくてはなりません。

遷御の儀を奉拝し、私は神明奉仕に努める決意を新たに、しっかりと胸の中に仕舞って、広島に帰ってくることができました。

第12号 平成25年10月15日

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