お白石持ち行事に参加して
速谷神社権禰宜 瀨戸一樹
この夏、伊勢の神宮の「お白石持ち行事」に、私は二度、参加させて頂きました。
伊勢の神宮では二十年に一度、ご社殿・ご神宝などを新しくし、神様に古い神殿から新しい神殿にお遷り頂く『式年遷宮』が行われていますが、そのクライマックス『遷御の儀』が、いよいよ平成二十五年十月に迫っています。
この遷御の儀を前に、「お白石」を奉献車などに載せて、ご正殿のある御敷地に運んで奉献する行事が、お白石持ち行事です。
この尊いご正宮のお傍近くに我々が進む事を許されるもの、お白石持ち奉献の時だけなのです。
一度目は、八月九日。学生時代を伊勢で過ごした私は、大学の「奉曳会」に所属し、式年遷宮のご用材を奉曳するお木曳きや、毎年の神嘗祭にお初穂を奉納する初穂曳きなどに“木遣り”として参加させて頂いていました。
この「木遣り」とは、お白石などを乗せた奉献車やソリを曳く多くの人々に木遣り歌を唄いながら、全体を指揮する役目で、掛け声で人々を盛り上げて志気を高めることも大きな仕事です。
この奉曳会で、木遣り歌をご指導して頂いていた縁で、『内宮』のお白石持ち奉献に「北浜連合奉献団」の一員として参加することができました。奉献団は総勢千三百名。朝九時四十分に伊勢市の駐車場を出発。実行委員長の「エンヤ、エンヤ」の掛け声のもと、力を一つにして、炎天下の中、お白石を乗せた車を曳きます。私は「昔取った杵柄」ということで、木遣り隊として、参加させて頂きました。
出発地点からゴールの宇治橋までは約一キロ。猛暑の中、車を引く綱は激しく上下に揺れます。そして人々も道幅いっぱいに広がっては、真中でぶつかるという奉曳の醍醐味『練り』を何度も繰り返しながら、神宮に向かう通りを進み、木遣り歌が響く中で、奉曳の盛り上がりは最高潮に達しました。
ここで幾つかお白石持ち行事で唄われる木遣り歌をご紹介致します。
♫目出度、目出度の若松様は枝も茂りて葉も茂る♫
♫伊勢に行きたい伊勢路が見たいせめて一生一度でも♫
♫積んだ白石、内外の宮へ 曳いて治めるお白石♫
その歌が流れる中、奉献団は神宮につながる宇治橋に差しかかり、お白石を乗せた車を聖域に曳き込む最後の見せ場「エンヤ曳き」が行われました。エンヤ曳きでは、最後の力を振り絞って聖域に一気に曳き込み、無事、奉曳が終了致しました。
宇治橋を渡って、運んできたお白石を受け取って、新しい御正宮に奉献です。そこは、まだ神様はお遷りになっていないお建物ですが、その御正殿を仰ぎ見た時、無駄が一つもなく、まことに美しい。究極の建築美とは伊勢の神宮の事だなと感じました。
午後三時、宇治橋に戻って昼食。参加者の皆さんとともに奉献の感動と喜びを分かち合いながら楽しいひと時を過ごしました。
続いて、第二回目は八月十九日。広島県神社庁佐伯大竹支部の参加者と、『外宮』のお白石持ち奉献です。こちらは前回とは違って、速谷神社の氏子さんを引率しての参加となりました。
佐伯大竹支部は約八十名での参加でした。当日、朝八時に奉献車前に集合、茨城・東京・山口などの参加者もあわせて総勢約二千人で出発。その日の奉献車は、全部で四台でした。
全国から集まった参加者は、安全を最優先するために、地元民の奉献のように、「練り」や「エンヤ曳き」はありません。
参加した氏子さんは、「みんなが力を合わせて、奉献車を曳いていると、何故か涙が溢れてきて、「エンヤ」の声も出なかった」と語っていました。“私 ”を捨てて(忘れて)、ただ無我夢中に、全国から集まった仲間とともに力を合わせて、神宮の御神徳にお応えするため、ご奉仕された中に、神様を感じられたのだと思います。
この夏、内宮・外宮両方のお白石持ち行事に参加することができましたが、神宮のお膝元の人々は伝統と誇りに満ち溢れた元気いっぱいの奉献で、現代においても確かに伊勢の神宮は、伊勢の人達とともに生き続けているのだと実感し、私の一生の思い出になりました。
伊勢の神宮に誠心誠意、ご奉仕できたことで、地図の上では遠い神宮が、信仰の面では近い存在として、日本人の総氏神たる神宮の存在を再確認する貴重な経験になりました。
さて、お白石持ち行事は九月一日に無事、終了しました。これから御戸祭や後鎮祭等を経て、いよいよ十月二日に「内宮」、同五日に「外宮」でそれぞれ遷御の儀が斎行されます。そして遷御の後、新たな二十年がはじまることになります。
第11号 平成25年9月4日