社務日誌(ブログ)

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遠く石州の地で  ~速谷の神を守る御典医の子孫~

宮司 櫻井 建弥

島根県浜田市金城町
島根県浜田市金城町

新緑がまぶしい五月の土曜日、中国山地のある集落を訪ねました。
「石見に速谷の神さまを祀っている社がある」
祖父からそう聞いていた私は、いつかその社に参りたいと思ってきました。
なぜ、安芸から遠く離れた石見に速谷神社の神さまが祀られているのか‐


 

波佐速田神社
波佐速田神社

速谷神社から浜田自動車道を通って一時間四〇分。
その社は小高い山の中腹にひっそりと建っていました。大きな木々に囲まれた社のまわりには、榊やゆずり葉が青々と育ち、清浄な空気が流れています。社の大きさは本殿が高さ2㍍50㌢。拝殿は広さが6畳ほどです。
社の名前は「波佐速田神社(はざはやたじんじゃ)」。建てられたのは、今から四三〇年前、天正十一年(一五八三)です。

佐田雅宏さん(中央)
佐田雅宏さん(中央)

この社を代々守ってきた佐田家の佐田雅宏さんにご案内いただきました。佐田家は、津和野藩の御典医も務めた名家です。佐田家に残る文書に、波佐速田神社の由緒が記されていました。
時は戦国時代にさかのぼります。
当時の速谷神社は、毛利・尼子の戦いで社人が亡くなるなど非常事態に陥りました。そこで、残された社人の娘を救おうと、この地域に住む親戚が、戦火の中、遠く速谷神社まで助けに来たのです。それが佐田さんの祖先でした。親戚はその娘を抱いてこの地に戻り、新たに祠を建てて速谷の神さまをお祀りしたと記されていました。

「江戸時代、津和野藩の殿様は、この神社の前を通る時は必ず駕籠(かご)を降りていたんですよ」(佐田さん)

山﨑知行宮司
山﨑知行宮司

安芸から遠く離れた石見ですが、深い交流があったといいます。石見の歴史や習俗に詳しい最中山神社(浜田市)の山﨑知行宮司に話を聞きました。
「この地域の田植え唄は、安芸国と節がとてもよく似ているのです。飾り牛をみても同じことが言えます。また、石見はたたらの産地でした。ここで産出されたものを安芸へ運んでいた場所が今でも残っているんですよ。」

古代より深い交流があった安芸と石見。遠く離れた二つの場所ですが、同じ速谷の神さまがそれぞれの地域を守り、人々に大切にされてきたことがわかりました。
社人の娘は、どのような思いで安芸国を逃れ、この地に辿り着いたのか‐このことを考えると胸が熱くなります。しかし、手入れが行き届いた社を前にすると、速谷の神さまがどれだけこの地の人達に大切にされてきたのかがしっかりと伝わって、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
石州で出合った速谷の神さま。あらためてそのご神徳の大きさを感じ、大切に守っていかなければと心に誓った出来事でした。

第10号 平成25年5月23日

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